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takioto:

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胡徳楽(ことくらく)  この舞こそは舞楽のレパートリーの内で、まさに特異中の特異なものとでもいうべきで、舞というよりも仮面をつけたパントマイムといったほうがいいかも知 れません。仮面舞踊といえば、七世紀にわが国にもたらされ、平安時代にはすでに廃絶し、今ではもうその内容がわからず、仮面のみが正倉院に残されている幻 の芸能である「伎楽」もあるいはこのような内容ではなかったかと推察されます。しかもこの舞は酒宴をテーマにして、登場人物がそれぞれにユーモラスなしぐ さをするなど、この点においてもユニークな舞楽と言えます。この曲は現在高麗楽、壱越調に属していますが、鎌倉時代の楽書「教訓抄」によれば、この曲はも ともと唐楽曲で仁明天皇の承和年間に高麗楽曲に改作されたことが記されております。さすればこの曲も唐伝の、しかも民間に行われた散楽の一つではなかった かと推察されます。
Koma-ichikotsucho tone: Shintoriso, Shinsotoku, Taisotoku, Nasori*, Kocho*, Choboraku, Engiraku, Soriko*, Ayakiri, Shinmaka, Shikite, Onnintei, Kitoku, Komaboko, Hassen (Gagaku), Ninnaraku, Kotokuraku, Hannari, Shinsoriko

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胡徳楽(ことくらく)
 この舞こそは舞楽のレパートリーの内で、まさに特異中の特異なものとでもいうべきで、舞というよりも仮面をつけたパントマイムといったほうがいいかも知 れません。仮面舞踊といえば、七世紀にわが国にもたらされ、平安時代にはすでに廃絶し、今ではもうその内容がわからず、仮面のみが正倉院に残されている幻 の芸能である「伎楽」もあるいはこのような内容ではなかったかと推察されます。しかもこの舞は酒宴をテーマにして、登場人物がそれぞれにユーモラスなしぐ さをするなど、この点においてもユニークな舞楽と言えます。この曲は現在高麗楽、壱越調に属していますが、鎌倉時代の楽書「教訓抄」によれば、この曲はも ともと唐楽曲で仁明天皇の承和年間に高麗楽曲に改作されたことが記されております。さすればこの曲も唐伝の、しかも民間に行われた散楽の一つではなかった かと推察されます。

Koma-ichikotsucho tone: Shintoriso, Shinsotoku, Taisotoku, Nasori*, Kocho*, Choboraku, Engiraku, Soriko*, Ayakiri, Shinmaka, Shikite, Onnintei, Kitoku, Komaboko, Hassen (Gagaku), Ninnaraku, Kotokuraku, Hannari, Shinsoriko

(via d-d-d)

digbicks:

Non-sign II is an installation by seattle based art collective Lead Pencil Studio located at the Canada-US border near Vancouver. The sculpture is made from small stainless steel rods that are assembled together to create the negative space of a billboard. While most billboards draw attention away from the landscape, Non-sign II frames the landscape, focusing attention back on it.

(via d-d-d)

handa:

ガリウム。融点29.8℃。水と同様、固体が液体より大きい異常液体。

handa:

ガリウム。融点29.8℃。水と同様、固体が液体より大きい異常液体。

(Source: theladwholunches)

──さて、いまはCDがなかなか売れず、音楽業界も不況であると言われています。一方でアマチュアによる動画配信など、ネット上で新たな動きが広がっている状況ですが、近田さんは音楽産業の今後をどうとらえていますか。

近田 人々が音楽を愛でること自体はけっしてなくならないので、それに付随する産業もなくなることはないと思います。しかし、産業の形態は時代とともに変化していくでしょうね。
 特に「ニコニコ動画」に顕著ですが、これまでは受け手だった人が、つくり手になる場所や機会が増えてきました。これからの音楽産業では、音楽を売るよりも、音楽をつくりたい人をサポートするような仕事が増えていくと予測しています。はっきり言って、音楽はきくよりもつくるほうがおもしろい(笑)。そのことに多くの人が気づいてしまった以上、いままでのようなかたちでビジネスをつづけていくのは難しいでしょう。

近田春夫 インタビュー:ポピュラーカルチャー学部:京都精華大学 (via boosted)

(via ysksit)

(Source: expo7000, via ktm-knsm)

私が子供のころ、大正末年から昭和初年にかけては、子供に新聞を読むことを禁じる家庭がまだ沢山あった。新聞はうそを書く、誇張する、好んで醜聞を掲げる、大人はそれがうそまたは誇張だと察することができるが、子供はできない。故に大きくなるまでは読ませない、記事は選んで家長が読んでやる、という家があった。これは明治時代からの名残で、昭和十年代まで子供だった友に聞いたら、自分も読むことを禁じられていたと答えたから、そのころまでそんな家があったと分かる。

戦後新聞が読まれなくなったのは、小学校の先生が読め読めと強いたからである。ことに社説を読めと読ませ、果ては「天声人語」を写させ感想を書かせたから、それで日本中の子供は新聞嫌いになった。読むなと禁じればかくれてでも読む。読めと命じれば読まなくなるのが人間の常で、なぜ読めと言ったかというと、新聞は常に進歩的で日教組や国労の主張を支持してくれたからで、毎日それを子供に読ませれば、いずれ天下がとれると思ったのである。だから新聞を読ませたければもう一度読むことを禁じるのがいいのだが、今となっては、あの社説では読むものはあるまいと思われる。

山本夏彦「私の岩波物語」文春文庫より

新聞 (via shibata616)

(Source: shinnya, via goshi54)

(via d-d-d, phorbidden)

(via d-d-d, phorbidden)